逃げてしまった。
『私は、先輩を嫌いなんかじゃありません!尊敬してます!』
そう言うだけ言って逃げ出した。
『滝夜叉丸!?』
呆気にとられた顔で、名を呼ぶ小平太の姿が思い出される。
あんな変な態度を取っておいて、嫌いじゃないなどとよく言えたものだ。
滝夜叉丸は、自分のあまりに情けない言動にげんなりと肩を落とした。
「ま、そう落ち込まないで。七松先輩は単純だから、気にしてないよ。」
ふうっと、何か疲れた顔でため息をついた喜八郎。
「なぜお前が疲れているんだ?私の方が気疲れしてると言うのに・・・。」
「私は私で色々と大変なんだよ。ウチの委員長があれであれなモノで。」
「はあ?立花先輩が何だと言うんだ?」
きょとんとした顔で首をかしげた滝夜叉丸を見つめ、もう一度嘆息する喜八郎。
仙蔵から種明かしを聞かされた時、正直喜八郎は腹が立った。
『小平太には想い人がいるんだ、美人のな・・・。』
そう意味ありげに微笑む仙蔵の言葉を真に受け、滝夜叉丸を泣かせてしまった。
だというのに。
『喜八郎、昨日言った小平太の想い人は、滝夜叉丸の事だからな。』
にっこりと満面の笑みを浮かべて言った仙蔵に、自分は嵌められたのだと気付いた。
どう仕返ししてやろうかと考えたが、塹壕に落ちてくれるような先輩じゃない。
喜八郎はムカムカしたまま、図書室へ行き作法の名で希少本を数冊借りてきて、委員会室の日当たりのいい場所にぽいっと投げ出してきてやった。
中在家先輩に怒られてしまえ、と暗い笑みを浮かべる。
「喜八郎?」
不安気に喜八郎を見つめる滝夜叉丸にぱっと微笑み、首を振る。
「ああ、気にしないで滝。滝は自分の事だけ考えてれば良いから。」
相思相愛ならモジモジせずにくっ付け!
小平太の想いを聞いた喜八郎は、うじうじ悩んでいる事が馬鹿らしくなっていた。
よくよく考えたら、確かに二人は想い合っているようにしか見えない。
滝夜叉丸を心配するあまり、喜八郎にはよく見えていなかったようだ。
(案外傷つきやすいんだもんな、滝夜叉丸は。つい過保護になっちゃうよ。)
ふうっと小さく嘆息して、喜八郎はもう一度優しく微笑んだ。
「滝、きっと大丈夫だよ。いつもの自信を、もう少し自分の恋にも持っておいでよ。」
「喜八郎・・・。」
喜八郎の心配も、滝夜叉丸にはよく伝わっていた。
だからこそ、笑って励ましてくれる喜八郎の姿に思わず涙腺が緩みそうになる。
「恋ってモノは、厄介だな・・・。人をこんなにも脆くさせるなんて・・・・・。」
今にも泣き出しそうな顔で笑う滝夜叉丸に、喜八郎もまた静かに微笑む。
「私にはまだ分からないな。」
意外そうに驚く滝夜叉丸の反応に吹き出し、二人で声を上げて笑った。
その時。
「滝夜叉丸はいるか?」
響いたのは緊張を含んだ声。
ビクリと固まる滝夜叉丸に、喜八郎は心の中で声援を送った。
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