その手に捕まれば、もう逃げられないと分かっている。
だけどその誘いはあまりに甘美で、逃れたいとは思わない。
優しいように見えて、酷く残酷な手なのだ。
女装して、町へ向かう。
そうしてあらかじめ定められた人物から、上手く情報を得る。
それが今日の課題。
もともと女装の得意な滝夜叉丸と喜八郎。
それに加えて、今ではタカ丸が編入した事で更にグレードアップしていた。
女装にいまだ抵抗を覚える三木ヱ門ですら、タカ丸の手伝いもあって見事に出来上がった女装に、しばし言葉をなくしていた。
「自分に見とれるなよ、三木ヱ門。」
めちゃくちゃ気持ち悪いと、おどけた声で喜八郎が笑う。
必死に抗議する三木ヱ門を無視して、喜八郎は作法委員長仕込みの見事な化粧を滝夜叉丸に施す。
「滝夜叉丸の化粧は楽しいよ。」
無表情ながら、その醸し出す雰囲気はいつになく楽しそうだ。
いや、塹壕を掘っている時と同じと言った所か。
正直この面子が揃うと、無駄に口を開くと収拾がつかなくなる事を滝夜叉丸は最近学んだ。
今日の課題は早く片付けてしまいたかった。
放課後は委員会が待っているから。
毎度毎度備品の整備や、堀りまくった塹壕の処理を後回しにしていた為、昨日用具委員長の食満留三郎よりじきじきにお達しが来たのだ。
今日の放課後までに体育委員がちゃんと後処理をやる気を見せなかったら、今後一切の体育委員会が破壊した用具・備品・床や壁も修復の手伝いはしないと。
いくらなんでも壁や床は難しい。
しかもそのお達しは、小平太を通り過ぎて滝夜叉丸に直接回ってきた。
留三郎も分かっているのだ、小平太に言った所で無意味だと言う事を。
険しい顔つきで4年の忍たま長屋にやってきた留三郎だが、真っ青になって平身低頭して謝る滝夜叉丸に逆に頭を下げた。
「すまん、俺がちゃんと小平太に分からせる事が出来んばかりに。」
留三郎とて、小平太の傍若無人な態度の一番の被害者は滝夜叉丸であることを知っている。
だがこうでもしないと、埒が明かない。
ここは滝夜叉丸に犠牲・・・・頑張ってもらうしかない。
もう一度頭を下げて、留三郎は長屋を後にした。
が、帰り道喜八郎のターコ5号に落ちたらしい。
「・・・・さすが、仙蔵の後輩だ・・・・。」
一体いつの間に掘ったのか。
これぐらいは甘んじて受けようと、留三郎は疲れた顔で覚悟を決めたのだった。
そんな経緯で、町まで出なければならない課題など今日は御免被りたかったが授業だから仕方がない。
とにかく少しでも早く終わらせて、備品の修理と塹壕を埋めなければ!
「喜八郎、もういいだろう?私は先に行くぞ!」
「え?ちょっとー、紅がまだだよ!」
がしっと紅をつかみ、足並み粗く教室を出る滝夜叉丸。
まだ化粧を終えていない喜八郎は、それ以上は追ってこなかった。
道すがら、金吾と出くわす。
呆けて見上げてくる金吾に、今日の委員会活動の内容を伝える。
「いいか、少しでも早く集まって頑張ろうな!」
「は・・・はい。」
あんぐりと口をあけたままの金吾を残し、再び歩き出す。
その背を見送り、金吾はやっと息を吐いた。
「滝夜叉丸先輩綺麗だったねー。」
にっこりと笑う暢気な喜三太の言葉に、頷く。
「あの姿・・・・七松先輩に見つかったら・・・・。」
繰り広げられるであろうあの居たたまれない空気。
滝夜叉丸がいつもの姿に戻るまで、小平太と会いませんよーに!と、金吾は願った。
その場に居合わせる生徒達の為に。
だが、小平太の動物的感は凄かった。
草履を履いた滝夜叉丸を目ざとく見つけ、茂みの中に掻っ攫う。
当の滝夜叉丸は一体何が起こったのか、わかりたくなくても分かってしまった。
ぐいぐい引っ張られ、ぎゅっと力強い腕に抱きしめられる。
「滝みーっけ!」
「めっかっちゃった・・・・。」
はぁぁぁっと、大きく嘆息し背中越しに小平太を振り返る。
「先輩、今日の委員会絶対に備品の修理と塹壕の後処理ですからね!分かってます?」
眉を吊り上げて釘を刺す滝夜叉丸の、美しく化粧の施された顔をまじまじと見つめる小平太。
「うあー、滝って本当美人だなぁ・・・・。」
ぐいっと近づく顔に赤面し、嫌そうに顔を顰めた。
「そんなこと言っても、今日はバレーもマラソンもしませんよ!なによりって!うわ!」
「でも紅が足りない。」
強引にあごを引かれ、上向かされた滝夜叉丸の口をふさぎ、手にしていた紅を奪う。
柔らかな唇を啄ばみ、その感触にほくそ笑む。
チロチロと下唇を舐れば、小平太の袖を握る力が増す。
舌先で唇を何度もなぞり、吸い上げた。
「んっ・・・・ふぅ・・」
漏れる扇情的な声に、小平太も流石に自粛する。
身を引いた小平太を見上げる目元は赤らみ、潤んだ瞳はため息が漏れるほど愛らしかった。
薄く開いた唇に、そっと紅を乗せる。
綺麗に伸ばせば、より一掃美しくなった滝夜叉丸の姿。
そして小平太の余計な悪戯の所為で、その色香はさらに増してしまっていた。
「ああ、私とした事が・・・・しくじった。」
心底困った顔で項垂れた小平太に、赤い頬を押さえながら滝夜叉丸は首をかしげる。
「い、一体何をしくじったと仰るんですか?」
自分の女装がいけなかったのか、それとも紅の引き方をしくじったのか。
理由の分からぬ滝夜叉丸は項垂れた小平太の顔を覗き込む。
上目遣いで滝夜叉丸を見つめる目と鉢合わせ、余計に顔が赤らむ。
時折見せる、悪戯っ子のようなその表情は反則だ。
慌てて身を引いた滝夜叉丸を再び捕まえ、小平太は露になっている耳朶に口付けて囁く。
「こんなに色っぽくて、扇情的な姿誰にも見せたくはないんだよ。」
「せ!扇情的って・・・あ・・・な!」
慌てふためく滝夜叉丸を押さえ込み、ぎゅっと抱きしめた。
「滝夜叉丸、このままお前を外には出せないよ。いや外だけじゃない。今のお前は誰にも見せたくない。」
いつにない低い声音の小平太。
甘美な疼きは、背筋を痺れさせていく。
高鳴る心音に、死んでしまいそうだと滝夜叉丸は思った。
ずるい、こんな殺し文句はずるい。
授業も委員会も、全て投げ出してこの腕に落ちたくなる。
そんな気持ちも知っているんだ、この男は。
本当に、ずるくて、愛しい。
「お前は私だけのものだろう?」
その手に捕まれば、もう逃げられないと分かっている。
だけどその誘いはあまりに甘美で、逃れたいとは思わない。
優しいように見えて、酷く残酷な手なのだ。
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